blog;フェスティバル通信2015〜サンティアゴ・デ・クーバより〜(写真を追加掲載しました。)
2015年 03月 21日
桜が見頃の地域もだいぶ増えた頃と思います。
どうぞ、佳い週末を。
今、キューバで参加している国際音楽祭について少しずつ備忘録も兼ねて書き留めていきたいと思います。
音楽祭が始まって2日目、木曜日の昼間は打合せや日本からいらしたツアーの皆さん、ツアー以外でいらした皆さんと少しずつ交流しながら、やはり打合せを多めに過ごしました。
サンティアゴ・デ・クーバという街は比較的小さくて、どこへいくにもほぼ歩いて行ける距離内に演奏会場があります。
少しだけ話は逸れますが、3/19という日がこの音楽祭にとって開催時期を決めるのに大事な日付で、トローバと呼ばれる音楽ジャンル発祥の父とされるキューバのペペ・サンチェスという作曲家の誕生日なのです。
午前中、到着されたばかりのmuchoさん、ツアー皆さんとモンカダ兵舎という現地の史跡前でお会いした後、皆さんは観光頂き僕だけ墓地へと向かいました。
墓地は、青空の広がるそれは明るい場所です。

ここには、建国の父・ホセ・マルティのお墓や、世界的なラム酒ブランドとして名高いバカルディの生みの親エミリオ・バカルディ氏のお墓など著名人のお墓が沢山あります。
中でも、キューバ音楽史上重要な作曲家のお墓が沢山あり、例年通り今年も順番に献花をし、演奏家がそれぞれの作曲家にゆかりある曲を演奏して捧げるセレモニーへ参加したのでした。
音楽評論家リノ・ベタンコート氏もハバナから毎年お見えになって、こうした際に墓地に眠る著名な音楽家の幼少期からのエピソードを聞かせて下さるので、演奏する際とは違う点で非常に勉強になります。

演奏も、グラミーにノミネートされるアーティスト達が、炎天下先達に敬意を込めて墓地を徒歩で移動しながら素晴らしい音楽を捧げていきます。
音楽を自分達の大事な文化財産として守り、発展させるたゆまない努力に毎回頭の下がる思いで伺っています。
さて、街に戻って打合せに向かう途中に幾つも演奏会場を通り過ぎ、前を通る度に呼び止めて下さる現地のミュージシャン皆さんと話します。
そして、皆さん元気である事、どなたかは入院されたり、もう会えなかったりする事、日々の変化を肌で感じ、こうして直にこの街と音楽に触れることのできる幸運に感謝の念が深まります。
夕方、2日目に出演するとすれば、リハーサルに様子をみて、できるなら出演します、と伝えた野外ステージへと向かいました。
それは、サンティアゴで有名な「パードレ・ピーコの階段」を上って右へ坂を進み、クランデスティーナ博物館の前の通り、エスプレナーダ・デ・ティボリという場所でした。
ティボリ、フランス人達が住み着いた土地でフランス語が語源の地名だそうです、と呼ばれる地域にある坂の上の通りを封鎖して特設野外ステージが組まれていたのです。

行くと、先に着いていたシンガーソングライター・ホセ・アキーレスさんがいらして再会を喜んで下さいました。
彼は四人の息子さんがいらして、一人は国際的に活躍されるクラシック・バレエ・ダンサー、一人は優秀なシェフ、そしてあと二人はやはり国際的に活躍される音楽家です。
音楽家の息子さんお二人とはご縁があって知り合い、特に末っ子になるアベリート君とはハバナでも一緒に遊んだり、彼がメキシコへ行ってからはメールをやりとりして交流が続いています。
ホセ・アキーレスさんは素晴らしい楽曲が政府にも認められ使用される他、若いシンガーソングライターを応援し育てる指導者としてもヌエバ・トローバと呼ばれるジャンルで重要な方ですが、何より僕は彼の歌声とギターと楽曲の美しさに毎回感動させられる一ファンとして再会できたのが嬉しかったのです。
キューバの音楽現場で機材が足りず音が出ないなど日常茶飯事で、昨日もたった五分のサウンドチェックの為にアキーレスさんは延々1時間以上もお待ちになっていらした関係で思いがけず沢山話しをさせて頂くことになりました。
こういったすばらしい音楽家をお待たせするような事が少しでも早く改善されるといいな、と願う一方で、尊敬する方と過ごせる貴重なひと時が訪れるのを心から感謝する気持ちと同時に湧いて少しだけ複雑な気持ちになります。
帰りに、ご自宅が近いこともあって御誘い頂き、奥様メルセデスさんにご挨拶した後キューバにある果物「タマリンド」のジュースをご馳走になりました。
汗をかきながら過ごしている日々、新鮮な果物の手作りジュースを飲めるのは涼を摂れる上何より贅沢です。
また夜にお会いする事を約束して、ご自宅を後にしたのでした。
少し長くなりましたので、2日目の夜実際のステージについては次の日記に改めます。
写真を載せたいですが、インターネットの環境がよくないので折りを見て試してみます。